こんにちは😊
北九州市八幡西区の「結果」と「癒し」にこだわるプライベートエステサロン「Body&Face Hiina」代表、ボディーケア&スキンケアセラピストの扇谷比奈子です。
今回は、自営でエステサロンを営み、家族の大黒柱として働きながら、中学生の野球部員の息子をサポートした、私のことについて書いていきます。
きっと大変だよね
小学校時代の息子は送り迎え付きのスイミングクラブに入っていたので、親である私は、月謝とお洗濯さえすれば良いという感じで特に負担などを感じずにいました。
その息子が中学生になり、野球部に入ることになり、なんとなく「大変なのかな~」という程度の心づもりで、野球部員の母になりました。
私たち学年の野球部は、【小学校時代からクラブチームで頑張ってきたお母さん】、そして私のように、中学校になり、【初めて野球チームの母として頑張ります!というお母さん】が入り混じってのスタートでした。
私たち学年の部員は18名なので、保護者も18名。配車&お茶出し当番として、18名を3つに分けて、A班、B班、C班としました。
土日はA班、B班、C班が、例えば1日土曜日がA班、2日日曜日がB班、次週8日土曜日がC班、9日日曜日がA班という風に続いていき、割り当てられた日に当番としてお手伝いに行かなくてはいけません。
1年生のころは、練習試合で他の学校に行く時だけ、配車当番として部員の送り迎えさえしていればよい感じで、対外試合もたまに…でしたので、「大変さ」をさほど感じることもなく、なんとなくうまくいっていました。
削られる週末
2年生になり、顧問の先生が変わり、大変さがすこぶるアップ💦💦
1年の頃のゆったりさが完全になくなりました。部員は朝練も始まり、週末は、ほぼ練習試合が入り、当番を熟さなくてはいけないので、週末は私のエステの仕事がほとんど入れれない状態になりました。
お客様の中には週末しか来れないお客様もいらっしゃるので、そのようなお客様には本当にご迷惑をおかけすることとなり。。。
自営業で週末に仕事を入れれないということは、いかにきついか…自営業の中でも私のようなサービス業の方なら分かってくださるかもしれません。
1年前の夏、息子が2年生の時、当時の3年生が引退をすると、息子たちの学年の新チームが始動し、より保護者の私も益々大変さが増してきました。
配られるスケジュール表に「練習試合」と書かれてあれば、自校であるとしても「顧問の先生へのお茶出し当番」として行かなくてはいけない。
「お茶くらい自分で何とかしたら?」
はっきり言ってこのくらい思っていました。
顧問の先生へのお茶を出すためだけにどうして自分の仕事を入れれないのか、試合があっている時間でも抜けて仕事をできないだろうかと…(息子がいつも控え選手であったからだからかもしれません)
「そんなにお茶出しが大事なんですか?」と他のお母さんに聞いたこともありました。中学校から野球をする息子の母になったお母さんからは、私と同じような疑問が沸いていました。しかし、「やはり、お茶出しは大切です」との役員さんからの言葉で、「お茶出し当番」は続いていきました。
私はやはり、納得できなかったり、時間を無駄にしていることにイライラ。
「仕事をしないと、生活もあるし、この子(息子)の野球用具も買えない」
そう思うと余計に心がきつくなりました。
特に次にような時には私の頭の中が大沸騰を起こしました。
スケジュール表に「練習試合」と書いてあったので、予め仕事を入れずにいたら、直前に「練習試合」がなくなり、いつもの練習に代わり、いつもの練習ということは当番が必要でなくなり。。。
仕事を入れずにいた私は、仕事も当番もなくなり、宙ぶらりん状態になり、怒りを露わにすることもありました。
「これだったら、仕事を入れれたじゃない!怒」
となることも、何度かありました。
もう辞めて
鮮明に頭に残っているのは次のことです。
週末をご希望だったお客様に泣く泣く日にちを変更してもらい、申し訳なく思っているところに、息子が練習から帰ってきました。
片付けも何もせずにソファーに横たわってテレビを観だしました。
その姿を見て、気持ちの沸騰がおさまらず、頑張っているとわかっている息子に
「あんたは自分の好きなことだけをしていていいね~怒。
掃除もせんで、モモ(愛猫)のトイレ掃除もしなくなって、自分のことだけをしてて羨ましいわ!怒
もうね~(私、涙が流れ出す)
もうね~
母さんの仕事を邪魔する部活なんて
もう辞めて(私、号泣)」
と、とんでもなく悪いことを言っていると分かりながらも言ってしまったことがありました。
息子は、彼は本当に優しい子で(親バカですみません💦)、私が仕事に!当番に!と駆け回り、いっぱいいっぱいの状態であることを感じ取っていたので。。。
「わかった。」
と私の言葉に答え、愛猫モモのトイレ掃除を始めながら(猫砂をトイレに流しながら)嗚咽していました。
引退が決まった瞬間の泣き方と同じ泣き方で、身体全体から「嫌だ」が感じ取れる泣き方でした。
その姿を見て、私も更に大泣きして、暫くの間、二人とも泣いていました。
「ごめん。母さんが言ってはいけないことを言った。ごめんなさい、すみません。でもごめん。そのくらいキツイ。。。」
と、暫くして、ようやく言うことができ、でも謝りながらも自分の気持ちを言い続けるというひどい親でした。
そのくらいに「お茶出し当番」というものに私は頭の中を支配され苦しむ日々。。。
やり切るしかない!
でもそんなとき、想いを分かってくれるママ友と思いを分かち合い、なんとか野球部の母をやり切るしかない!と思いました。
当番の時に、頑張る息子の姿を目の前にし、
「私も頑張るしかない」
と思い、心を強く持ちました。
「いつまでも続くわけじゃない!なんとかやっていこう!彼だってこんなにも毎日泥だらけになって、毎日怒られて、頑張ってるじゃないか!」
と。
なんとか、なんとか当番を頑張りました。
試合の空き時間にはブログを下書きしたり、イヤホンで勉強したり…
いかに時間の使い方を無駄なくするかを息子が2年生の間はそんな感じで当番をこなしていきました。
心無い言葉を…
一生懸命に頑張っているのに、一度、シングルマザーであることを突いてきて、心無い言葉を言われ、泣き崩れてしまうこともありました。(後にその方も一生懸命さから出た言葉だと分かりました)
その時、号泣する私の姿を見て、いつも当番に付いてきてくれる娘が
「母さんはこんなに頑張っているのに、どうしてそんなことを言われないといけないの?」
と、一緒に泣いてくれました。(娘は滅多に泣かない子なのに)
「一緒に泣いてくれてありがとう」と娘を抱きしめて大泣きしたこともありました。
他の部員のお母さんにも助けてもらいました。
ある人は、
「表立って応援できないけど、気持ちは分かってます。」
とメッセージをくれたり。
息子同様、同じように頑張るお母さんがいたので、どうにか野球部員の母として頑張りました。
急な想いの変化
4月、中学3年生になると「夏の大会」というゴールが見えだしました。
あと、4ヶ月くらいか。
そう思うと、このチームの野球を観れることも数少なくなってきたんだな…この子たちの、息子の野球をする姿をしっかり観ておきたい!見ておかなくちゃ!
急にこんな思いに変わってきました。
男の子だし、あと数年もすれば、親元を離れることも分かってる。
今、目の前に居てくれてるのだから、その姿を見ないと後で後悔するよ。
今、すべきことは、「仕事」も「野球部のこと」も。どちらも真剣に取り組むことだ!
と、想いが変わりました。
そうして週末の当番でない時も観に行けるときは、時間をみつけて観に行くようになりました。
泣いても笑っても7月か8月まで。
夏の大会を目前にした6月末。
「1日でも長く、このチームの野球を観ていたい。」
そんな想いが益々強くなっていました。
以前の想いと本当に大違いです。
「お茶出し?そんなもん、やってやるよー!!」
とも思えるように…😊
完全にゴールが見えていたからこそ思えた部分です。
この子たちの笑顔を観たい
野球部の一人一人の子たちが更に、ますます可愛くなってきました。
一人一人の笑顔を想い、一人一人のお母さんのお顔を浮かべ、胸がキューンとなることも増えてきました。
そんな中、夏の大会が始まりました。
思いは一つです。
我がチームの勝利‼
みんなで一生懸命に応援しました。
ヒットを打つたび、好プレーが出るたびに、みんなでハイタッチしたり、抱き合ったり、保護者みんなも一致団結して応援することが楽しかったです。
初日のシード校相手の勝利の時は、紙コップにお茶やアクエリアスを注ぎ、保護者で乾杯!!!
「ビールより美味しいね!」
喜ぶ部員たちに負けない笑顔で、保護者みんなで喜びました。
引退の日
その日は来ました。
1日でも長く観ていたい。
そんな想いも試合に負けたことで、抱くことができなくなりました。
保護者、みんな泣いていました。
みんながみんな、一生懸命に我が子を、部員を支えてきました。
同じ目標を持ち、同じ時間を過ごした部員を持つ私たち親の絆も深まっていました。
涙の引退の日でしたが、部員の涙はもちろん、私たち親の涙も美しかったに違いない涙でした。
2年半やってきて
野球部の母を2年半やってきて、確かに大変でした。
でも、出産と重なる部分があって、大変だったけど、最後の子供たちの頑張りと涙と笑顔を見たら、その大変だった時も記憶から吹っ飛んでしまいました(笑)
引退から2日経って、このブログを書いていますが、完全に「燃え尽き症候群」のような、昨日今日でした。
「もっと観ていたかったな」
まだそう思う今日この頃です。
自営業の週末に仕事を入れれない苦しい状況も長くは続きません。期間限定のもの。しかも今回のように「野球部員の母」としてやり切ったことは自分の自信にも繋がります。そして、その背中をしっかりと子どもは感じ取ってくれます。
キツイ、苦しい思いを味わった分、人として幅も出てくると思うので、接客にもそれが程よく関係してくれるのではないか…と思います。
これから
お客様の中にもこれから「野球部」の子供さんをもつ方が出てくるかもしれません。
「どうして、お茶出しなんてしなくちゃいけないのよ!」
と思うお客様も出てくるかもしれません。
そんなお客様にも私は自分の経験を通して、何かアドバイスできたりするかな~と思います。
やはり、無駄な経験ってないです。
泣いたり笑ったりした野球部員の母だった、わたし。
よく頑張ったな!って自分を褒めたいと思います。
「息子さん野球部だから、週末の予約でなく、どうにか平日に来ますね!」とおっしゃってくれたお客様、お気遣いいただきありがとうございました。
「私の子も野球部だったから、大変なのが痛いほどわかりますよ!」
と、私の話を聞いてくださるお客様もいらっしゃいました。
最後に娘のこと
娘は、文句ひとつ言わずに、ほとんど、毎回、私の当番に付き合ってきてくれました。
いつも、宿題をしながらや大好きなアリアナグランデの音楽を聴きながらの試合観戦。
「暑い」「寒い」「まだ?」の文句も言いませんでした。大した娘だと思います。
この写真は引退の日の様子。
私についてくるたびに、他の保護者の方からお菓子をいただいたり、可愛がってももらいました。
朝早い時も、本当に文句ひとつ言わずに付き合ってくれた娘に心から感謝しています。
今日は、野球部員の母として、エステサロンを営み、家族を支える大黒柱の私のことを綴ってきました。
息子は、汗を流した分、しごかれた分、ぐっと涙をこらえた分、身体も心も強く大きくなり、私も「野球部員の母」として、なんとかなんとか苦しいながらも歩んできた分、人として成長させてもらいました。
たーくさん親も子もしごいてくれる、顧問の先生で良かったな!と思います。
子も親も成長させてくれた「我が野球部」に心から感謝をしてこのブログを終えます。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
ではまたお会いしましょう!